洲崎神社は「広井天王」や「牛頭天王」とも呼ばれ、江戸時代、洲崎の天王祭は東照宮時代祭と並ぶ2大祭であった。
太古この地は入江で洲崎になり、地神(石神)が祀られていた。貞観年間、石神にみちびきにより、出雲から素戔嗚尊がこの地に遷座、奉斎された。
名古屋城築城以前は現在の栄一丁目全域が社地であった。築城後、社地には武家屋敷が建てられ、境内に堀川が掘削されるなど大きく縮小した。江戸時代は尾張十社の民社総社的立場にあり、皇室、公家、徳川家より奉納が多数あった。
明治45年、当社に隣接し石神を祀る石神神社を合祀。
毎年の7月13日、14日に例祭、7月第三土曜日とその翌日には提灯祭がある。また、この神社には縁結びの神様がまつられている。