真宗大谷派の寺院。山号は雲龍山。野寺御本坊とも呼ばれる。1206年(建永元年)頃、親鸞門侶の慶円により開設。
上宮寺、勝鬘寺と並んで三河触頭三ヶ寺として知られ、戦国時代には三河一向一揆の拠点となった。こうした経緯から、鼓楼や土塁を備え、水濠に囲まれた城郭寺院(城郭伽藍)様式となっている。
三河一向一揆:戦国時代に三河国の西三河全域で永禄6年、半年ほど行われた一向一揆。本證寺第十代・空誓が中心となって真宗門徒に檄を飛ばし、領主の松平家康(のちの徳川家康)と戦った。
国の重要文化財に、絹本著色善光寺如来絵伝 4幅(鎌倉時代)、絹本著色聖徳太子絵伝 10幅(鎌倉時代)が指定されている。