通称「甚目寺観音」で、正式名称「甚目寺」は、真言宗智山派の寺院。山号は鳳凰山。
597年、伊勢国甚目村の漁師龍麿という者が尾張国の入り江で投網をしていたとき、金色の聖観音像を引き上げ、入り江のかたわらに草堂を建て観音像を安置し、自らの姓氏をとり甚目寺(はだめでら)と名付けたのが寺の創建にまつわる伝承として残っている。
釈尊の授記を受けて作られたもので、信州の善光寺の本尊と共に百済をへて日本へ渡り、585年に海中に投じられた三像仏の内の一尊といわれている。
天智天皇が病気になったとき、甚目寺で祈祷したところ、快癒したということから、甚目寺は、勅願寺となった。
織田信長や徳川家康の保護を受けて繁栄した。1873年、火災で本堂が全焼するなどの被害を出した。1992年に本堂は再建された。
南大門…1196年に再建された木造金剛力士像(仁王像)を安置する南大門(仁王門)。源頼朝の命により梶原景時が奉行となり建立。仁王像は安土桃山時代作、1597年に福島正則の寄進。
三重塔…1627年再建された。高さ25m。
東門…1634年再建された。
絹本著色不動尊像、絹本著色仏涅槃図、木造愛染明王坐像