天台宗の寺院。「松洞山大行院」と号する。名古屋城を鎮護する尾張四観音のひとつ。本尊は馬頭観音。「竜泉寺」とも表記し、地名は竜泉寺である。
龍泉寺は延暦年間、伝教大師最澄が創建したといわれている。古文書「龍泉寺記」には、「その昔、伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げを受け、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えると、龍が天に昇ると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀った」という内容が記述されている。
一方では、弘法大師空海も同じように、熱田神宮参篭中のおり、熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納しており、龍泉寺は熱田の奥の院といわれてきた。このため、この寺は伝教・弘法大師の開基ともされている。
1584年、小牧長久手の役のおり、豊臣秀吉が当山に陣し退却するとき、池田勝入の部下により放火焼失、慶長3年(1598年)、秀純大和尚が堂塔を再興。明治39年に再び放火に遇い、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てが灰と化した。
ところが、焼跡から、慶長小判百枚が発掘されたので、それを基金とし、多くの御信者の御寄付とをあわせ、本堂が再建され、今日に至る。
仁王門、木像地蔵菩薩立像は重要文化財。また円空作の馬頭観音をはじめ仏像数百体を有する。節分には、春駒を門前で売る店が出る。
境内裏側の日本庭園の横には三層の模擬天守「龍泉寺城」が建てられて、宝物館として多数の寺宝が展示されている。日曜・祝祭日のみの開館。龍泉寺城は、弘治2年(1556年)織田信長の弟、織田信行によって築かた。もとあった位置は不明。