名古屋の三大天神社のひとつ。織田信秀が北野天満宮から菅原道真の木像を勧請し、那古野城に設けた祠に奉ったのが始まりとされる。
天文7年(1537年)に現在地へ遷座。当時この場所は万松寺の境内でありその鎮守として置かれたが、慶長15年(1610年)の名古屋城築城にあたって万松寺が大須に移った後も、社はそのまま残された。
この地は桜の名所で多くの桜の大樹があったことから「櫻天満宮」、「桜天神」と呼ばれる様になった。桜の大樹は万治3年(1660年)の大火で焼失したが桜天神の名前は残り、桜通の由来となった。
住宅・都市再開発事業により現在ではビル街の中にこじんまりと存在している。桜天神社、上野天満宮、山田天満宮で名古屋三天神と呼ばれる。