真言宗智山派の寺院。正式には天林山 笠覆寺(てんりんさん りゅうふくじ)。尾張四観音の1つで、あわせてなごや七福神の恵比須を祀る。
聖武天皇の天平8年(736年)、呼続の浜に流れついた流木に禅光上人が十一面観音像を刻んで安置し、天林山小松寺を建立した。
その後1世紀以上を経て堂宇は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままになっていた。ある時、旅の途中で通りかかった藤原兼平(藤原基経の子、875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。
この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付けられた。笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。
鎌倉時代には鐘楼が造られ、尾張三名鐘に数えられる梵鐘が置かれた。この鐘は愛知県の文化財に指定されているが、大晦日には除夜の鐘として参拝者も撞くことができる。
芭蕉ゆかりの春雨塚、笠寺千鳥塚、宮本武蔵の碑、キリシタン灯篭など史跡も多い。