文明2年(1470年)松平四代・親忠が創建した。松平氏の氏神として三重県の伊賀から迎え、武運長久・子孫繁栄を祈願するための八幡宮を祀ったもの。
江戸時代を通じて将軍家の崇敬は厚く、徳川家康も大きな合戦の時には必ず参詣したという。天下人となった家康により社殿の改築が行われた。
更に三代将軍家光が社殿を拡張し、祖父家康(東照大権現)を祭神に加えた。江戸時代を通じ、家康の命日である4月17日に将軍の名代として岡崎藩主が代参することが慣習となった。
本殿・幣殿・拝殿・透塀・御供所・随身門・神橋などが国の重要文化財に指定されている。
ご利益
子孫繁栄・事業発展・子授け
祭神
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・東照大権現