一宮市出身の画家・三岸節子の作品や資料を収集・展示する美術館。静かな住宅街の中にある、三岸節子の生家があった場所に建っている。三岸の作品を常設展示と年2、3回、特別展・企画展を開催。
三岸節子の油絵作品、約60点をはじめ、デッサン等豊富な資料を収蔵。作品については晩年のものが多く、年4回テーマを設けて展示替えし、常設展を開催している。
屋根がギザギザのノコギリ屋根になっているのは、彼女の生家・吉田家が、当時、織物工場を営んでいたことに由来。美術館近くの一宮市起町や木曽川町など尾張地区の西部一帯は、 "尾州産地"と呼ばれる日本最大の毛織物産地。
昭和30年代の "ガチャ万景気"を経て、時代とともにその勢いは衰退しているものの、現在も国内シェア約70%をキープしている。周辺には、今もノコギリ屋根の織物工場が点在している。
美術館の入口から、三岸節子が1970年代に優れた風景画を描いた街・ヴェネチアのイメージを再現した水路があり、建物周辺には、三岸が大好きだったという白い花や広葉樹も多く植栽されている。
実際に吉田家(三岸節子の生家)で使っていた土蔵を改修した展示室。内部には当時のままの太い梁が残されている。室内は若かりし頃の三岸節子画伯の写真や趣味の収集品などが展示され、アトリエも再現されている。
明治38年(1905年)、吉田永三郎、菊の四女として起町(現在の一宮市)に生まれる。15歳のとき、実家が破産した後、家族の反対を押し切って上京、画家をめざす。
美術を学んだ女子美術学校で在学中に知り合った三岸好太郎と出会い、19歳で結婚。お腹に子どもを宿しながらも絵を描き続け、春陽会で初入選。29才で夫と死別、43才で菅野圭介との別居婚。49歳で初めて渡仏し、翌年帰国。
63歳で南フランスに移住、その後20年あまりヨーロッパに滞在する。84歳のときに帰国し、神奈川県・大磯に居を構えた後もなお絵筆を握り続け、亡くなるまで生涯画家でありつづた(享年94歳)。