岩崎城は戦国時代の平山城で、正確な築城年代は不明であるが、織田信秀(織田信長の父)の支城であった。
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に、後方撹乱を狙った豊臣方の池田恒興隊を阻止して、城代丹羽氏重以下300余名が討ち死にしたことが伝えられている。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い参戦後、丹羽氏は地方の土豪階級から一万石の大名へと昇格。城は三河国伊保(現豊田市内)へと移り、岩崎城は廃城となった。
廃城後、城跡は竹やぶなど雑林に覆われたため比較的その遺構を保った。昭和62年(1987年)に展望塔として五重構造の天守閣(模擬天守)を築城、「岩崎城址公園」として整備された。
岩崎城の一階、二階は展示室になっていて、丹羽家ゆかりの村々の古絵図や道具類を展示している。岩崎城四階の展望室からは日進市内と長久手・瀬戸方面、名古屋などが一望できる。
併設する岩崎城歴史記念館には岩崎城の歴史や城跡からの出土品などが展示されている。整備中に偶然発見された6世紀ごろの古墳の跡も公園内に展示されている。また、二の丸には水琴窟を持った日本庭園が造られている。