織田信長ゆかりの地

織田信長ゆかりの地

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名「織田 信長(おだ のぶなが)」のゆかりの地や信長に関する展示がある施設。

織田 信長

三英傑の一人。尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。室町幕府を事実上滅亡させ、畿内を中心に強力な中央政権(織田政権)を確立。戦国時代の終結に影響を与えた。

2歳にして那古野城主となる。尾張下四郡を支配した守護代であった「織田大和守家」当主で清洲城主の織田信友を主君を殺した謀反人として殺害し、信長は那古野城から清洲城へ本拠を移し、尾張国の守護所を手中に収めた。

同族の犬山城主・織田信清と協力し、旧主「織田大和守家」の宿敵で織田一門の宗家であった尾張上四郡の守護代「織田伊勢守家」(岩倉織田家)の岩倉城主・織田信賢を破って(浮野の戦い)追放。永禄2年(1559年)までには尾張国の支配権を確立し、信長は尾張の国主となった。

「桶狭間の戦い」前に先ず熱田神宮に参拝。今川軍の陣中に強襲をかけ今川氏の前当主で隠居の義元を討ち取った。永禄6年(1563年)、美濃攻略のため本拠を小牧山城に移す。(信長が築いた初めての城)

信長は3万人の大軍を率いて岐阜から出陣し、5月17日に三河国の野田で徳川軍8,000人と合流、設楽原に陣を敷いた。信長は設楽原決戦においては5人の奉行に1,000丁余りの火縄銃を用いた射撃を行わせるなどし、武田軍に圧勝する。